じゅわじゅわと音を立てるのは蝉の声か、暑すぎる夏に私が焼かれる音か、はたまた目の前で揚げられている油揚げか。
お盆。祖父母の家に親戚が大集合する夏の日の話である。なんだってこの暑い中手間暇かけて油揚げなんて作っているのか。まず普通は家庭で作らないだろう。しかし、我々一族の夏は昔からこれから始まるのだ。近くに狐を祀った神社があり、そこに毎年手作り油揚げを供えるのが習わしだ、ずいぶん贅沢な神様だと思う。
日中と錯覚するような朝、揚げたての油揚げをもってぞろぞろと神社へ向かった。ひんやりとしたお堂の中にそれを供えて、今年も夏が始まったのだと思った。

お昼すぎ、親戚のちび達の相手をするのに疲れて、私は田んぼを突っ切って散歩に出かけた。どこへ行っても日差しは私を追いかけるので、涼しい場所を探してあの神社へ向かった。あそこなら大木が天井になっているから良い。
石の階段を登って行くと苔のむした狐の像が両側に2つ…だったはずなのだが1つしかない。記憶違いだったろうか?首を傾げつつ境内に入ると気持ちのいい風が汗をさらって行った。うーん、と伸びをしていると、お堂の近くに誰かいる。
私と年はあまり変わらない、いや、私より上かもしれない男の子。近づくとこちらに気づいて振り返った。柔らかそうな銀髪、後ろでちょこんと束ねられた飾りのような髪が揺れる。尻尾みたいだと思った。
つん、と伸びた鋭い鼻に、切れ長の目、目尻はほんのり紅を差したようにみえた。三日月のような笑みをたたえている口元は油を塗ったように艶やかに光っている。鋭くもどこか優しい、綺麗な顔だ。
「おまえさん、よう来たのう」
何してるの、そういう前に言われてしまった。変な訛り。
「ここ、涼しいから」
彼はうんうん、と頷いて私に向き合った。んー、と私を見てから、また口角を上げた。変な子、そう思ったが口元にあるホクロに気づいてついつい見てしまう。端正な顔によく似合う。
「手を出してくれんかの」
「手?」
そう、と顎で催促したので両手を器にして前にやる。彼は後ろにやっていた手を出してパッと拳を解いた。
肌には感じられないような微妙な空気の流れにそって不規則にふわりふわりと落ちてくるたんぽぽの綿毛のような物体。それを私は両手で掬うようにして手の中に納めた。細くて柔らかい毛先がくすぐったい。汗ばんだ手のひらにあっという間にくっ付いてしまったので慌てて爪の先でつまむ。何本か毛先が湿って変な形になってしまった。
「これなあに?」
「贈り物」
「なんで私に贈り物?」
にっと歯を見せないで彼が笑ってみせた。それ以上何もいう気配がないから、私が喋った。
「ありがとう、でも…」
指先でつままれたそれはもうふわふわとは飛ばないだろう。毛先が所々ダマになってしまった。せっかくくれたのに。
「よーう見てみんしゃい」
彼が両手を広げて天を仰いだので、つられて私も上を向く。
「わあ…!」
神木と杉の隙間から溢れ出すように、白いふわふわが舞い踊っていた。まるで木漏れ日が次から次へとこれに形を変えているようだ。
「素敵………」
私が呟くと、彼がくっくっと笑う気配がして、そうじゃろ、あげる、と言う。私は上を向いたままTシャツで手の汗を拭ってからそっと1つ優しく捕まえた。
「とれた!ありがとう」
そう言って顔を戻す。しかしなんということだろうか?もう彼は目の前にいない。隠れんぼでもしているのだろうか、そう思ってお堂の裏や木の陰や池の周りを探したが見つからない。
ふよふよと浮かび続ける白いおくりものと、私だけが取り残されてしまった。私はもう一度お堂の中を見てみた。今朝供えた油揚げはなくなっていた。
彼は帰ってしまったのだろうか、祖父母に聞けば家くらいわかるかもしれない。私はもう一度この幻想的な神社の風景を目に焼き付けようと顔を上げてから、潰さないように慎重にふわふわをつまんで、元来た道を帰った。ほんの10分くらいしか経っていないつもりだったのに、あたりはもう日が沈みかけていた。
こんな時間までどこに行っていたのだと小言を言われつつ晩ご飯の準備を手伝いながら、祖母に銀髪の男の子の話をするが、近所にそんな子はいないと言われた。ならば私のように帰省にくっついて来た身だろうか。ふうん、と大量の箸をつけていると祖父が虫かごを持ち上げて中身を見ている。私がさっきのふわふわを入れておいたのだ。
「その子に貰ったの。何かわかる?」
祖父がにっこりと笑って、虫かごを祖母に見せた。祖母もすぐに笑顔になって、2人でくすくす笑いあっている。
「あんた、これは狐のね、幸せの贈り物さぁ」
銀狐様の仕業だね、あんたを気に入ったんだねぇ、などと頷きあっている。私はきょとんとしていたが、それはどうやら素敵で特別なことらしいとやっと気づいて、おもいきり声を出して笑った。皆も何故かつられて笑い、蚊取り線香の煙が楽しそうに揺れた。



ケサランパサラン。
いまはもうわかるその名前。ふわりとあの日と同じように私に向かって落ちてくる。私はいつも思い出す。あの、銀の狐に化かされた美しい夏の日を。今年もあの神社へ行く季節がやってきた。油揚げを供える役は、あの日からずっと私の担当だ。
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