誕生日というものは特別な事が起こる。少なくとも氷帝テニス部に所属する者には。…というわけで、3年連続で顔面にバースデーケーキを食らった俺はシャワーを浴び終えて髪をがしがし拭いていた。
「今年は去年のより大きかったですね」
声をかけてきたのは長太郎だ。
「ったく毎年やるやつの気が知れねぇよ」
くっくっと笑い合って長太郎を小突く。
「あのう、宍戸さん、少し教会に行きませんか。まだ時間かかるみたいだし。」
長太郎がそう言って視線をやった先には、ヘリがどうのディナーがどうの…半分以上俺のわからない言葉を使って忙しなく電話をしている跡部、部日誌当番だが日付から先に進んでいない岳人に絡まれる忍足、ジローに自分のジャージの上を寝床にされてイライラしている若をなだめる樺地、爪になんか透明な汁を塗っている滝……なるほど、すぐにこの場は動きそうにない。苦笑しながら、いいぜと返す。
教会、俺たちにとって特別な場所だ。氷帝学園の敷地内にある無駄に広い教会。俺たちはそこで試合前にお互いの決意を固めたし、その後だって大事な話し合いの場は教会だった。俺に教会なんて似合わねぇけど、静かに2人きりで作戦会議が出来る場はあまりないから都合がいい。
…というのはちょっとした言い訳で、どうやら俺は教会にいる長太郎が好きなのだ。テニスコートの次にあいつに似合う場所だと思う。何はともあれあいつからの呼び出しだから、なんか話でもあるんだろう。

教会はいつもの通り誰もおらず、重い扉を開けると埃っぽくて少し暖かい空気が舞った。
「宍戸さん」
緊張しているのだろうか、扉を閉めて中ほどまで進んだ長太郎が、まるでこれから本当に重要なことを話す時のような間を作って息を吸った。
「お、おう…」
なんかこっちまでドキドキしてしまってごくりと生唾を飲む。まだ赤みをおびきっていない太陽の光がステンドグラスを通ってたっぷり色彩を蓄え、長太郎の白い肌と癖の強い銀髪に落ちていく。
赤、青、緑紫黄色……淡くぼんやりと滲んだ色が長太郎に染み込んでいった。
「宍戸さんにプレゼントがあるんです、誕生日プレゼント。」
さっきまでの強張った顔は何処へやら、えへっと少し首を傾げて照れくさそうに笑う。いつもの長太郎の人好きのする笑みだ。
深刻な話ではなさそうだという安堵感にホッと胸をなでおろすも、若干拍子抜けしてしまった。
「なんだ、そんなことかよ。怖い顔してたからビビったぜ。」
「えっ、そんな顔してました?嫌だなぁ」
長太郎が椅子の上に置いた革張りのバッグから、がさごそと小さな箱を取り出した。ふぅ、とまた一呼吸置いてから、長太郎がグレーの箱の蓋をゆっくり俺に向けた。かぽ、とこもった小さな音をたてて箱が開く。中には銀の指輪が2つ並んでいて、ステンドグラスの光が指輪の縁に当たって俺と長太郎の顔に散らばった。
「これ、俺に?」
指輪から視線を長太郎に移して聞く。はい、としっかり頷いた長太郎の動きに合わせて拡散した光の粒が揺れて肌を滑る。
「あの、ペアリングなんです、2つで1つ。だから、こっちが宍戸さんので…」
青い石が埋め込まれている方を指差しながら長太郎が言う。それでこっちが俺の、そう示された隣の指輪には、あいつのペンダントと同じく銀のクロスがついている。長太郎に似合いそうだと思った。
「へぇ、なんかすげぇな、お揃いってことか?」
ペアリング、という言葉に馴染みがなかったが、長太郎の説明から察するにこういうことなのだろうか。
「そうですね。お揃い、っていうか、デザインは違うんですけど…こういうのは…嫌、ですか?」
長太郎が少し屈んで指輪の箱を見つめる俺を覗き込んだ。その目はまるで叱られるのを待っている子犬のようだ。
「おいおい何言ってんだ長太郎、んなことあるわけねぇだろ!お前が俺のために選んだんだろ?嫌なわけあるかよ」
わしわしと長太郎の髪をこいつの不安ごとかき混ぜる。アクセサリーだとかジュエリーだとか、そういうのに関して気の利いたセリフは言えないが(まぁ他のもんでも言えねぇけど)貰ったもんが何であれ、嬉しいもんは嬉しい。
それに、長太郎と…その、こ、恋人…みたいな関係になってから初めての誕生日プレゼントだ。嬉しくねぇって方がどうかしてる。良かった、と俺の手に頭を押し付けるようにしていた長太郎が、乗っかった左手をするりと取って遠慮がちに握った。
「宍戸さん、はめても良いですか?」
小さく頷いて、強めに握り返した。一旦手を解いて、箱から指輪を大切そうに取り出した長太郎が真っ直ぐ俺に向き直る。
また俺の左手をとって、自分の左手に重ねた。俺より少し体温の低い手のひら。俺の温度がじんわりと長太郎の温度と馴染んでいくのが心地いい。俺の指の先から付け根にむかって指輪が降りてくる感覚がこそばゆい。焦れったいくらいの丁寧な時間をかけて、長太郎が手をそっと離した。
「とっても似合ってる。」
ため息交じりの声で長太郎が言う。
目の高さで宙にかざした左手を角度を変えながら眺めてみた。確か俺の誕生石が青いのだって教えてくれたのは滝だったか忍足だったか。中心に埋め込まれた青い石が光を弾いてちりちりと燃えている。
「綺麗だ」
ふっと口を抜けた音は静かすぎる教会の空気を震わせるには充分で、やけに大きく聞こえたそれをちゃんと長太郎が捕まえた。
「気に入ってもらえたようで良かったです」
手をひらひらさせている俺を長太郎が目を細めて嬉しそうに眺めている。
「おう、ありがとよ長太郎!大切にするぜ。」
ニッと笑いかけると長太郎はやっと安心したようにいつもより眉を下げた。不安症なこいつのことだ、こういうのに疎い俺がどんな反応を示すのか気が気じゃなかったんだろう。もっと気の利いたセリフを言ってやりたいもんだと思う。
「長太郎も手だせよ、俺とお前のでペアなんだろ?」
つけてやるよ、と長太郎の左手を掴んで、箱からもう一つの指輪を取り出す。銀のクロスが揺れた。
「いいんですか?」
「おう」
…とは言ったもののだな…どこにつけてやりゃ良いんだ、これは。でもお揃い、ってことは同じとこにつけてやれば良いんだよな?
長太郎が俺にやったように、左手を重ね合わせてみる。2人の体温が混じった手のひらから、長太郎の心臓が一定のリズムで脈打っているのが伝わってきた。
速くて熱い。ランニングやテニスの後のそれじゃない。なんだか照れくさくなって急いで指輪をつけようとしたが長太郎のように上手く出来なくて、関節ごとにつっかかってしまう。焦ったあげく最後は押し込むようなかたちになってしまった。
…激ダサい。今まで黙ってされるがままになっていた長太郎がくすりと笑う声がする。
「お、おい笑うなよ」
「ふふ、すみません。宍戸さんらしくて、つい」
くすくすと笑う長太郎に文句を言ってやろうと見上げたその顔はとろりと溶けた視線を俺に注いでいた。心臓のあたりで風船がぐっと膨らみ始めて息がつまるほどに苦しくなったから、さっと目をそらして早口で言った。
「お前も似合ってるぜ、長太郎。」
「ありがとうございます。とっても幸せです。俺。」
幸せ、もう一度小さく呟いた長太郎が一歩踏み出して俺との距離を詰め、左の手首をとった。ふわりと優しく…でもしっかりと俺を捕らえた長太郎の指のクロスに、周りにあしらわれた真珠が吸い込まれて優しく光る。
「宍戸さんの誕生石、サファイアの石言葉、」
俺の腕に力が加わって、長太郎の顎の高さまで引き上げられた。
「慈愛、高潔、誠実、徳望……あなたにぴったりだ。」
うっとりと、指輪ではなく俺の目を見つめた長太郎が腕を引く。
「愛してます」
静かに、しかしはっきりと長太郎が紡ぎ出された音が、柔らかに掴まれた左手の先に絡みついた。その音を追うように、長太郎の唇が僅かな弾力をもって触れる。
おい待て俺は今、も、もしかして…きっ、キス、されてんのか…?
俺の目に映っているのは、俺の指に口づけている鳳長太郎だ。ただ触れているだけの長太郎の唇は羽のように軽くて少し乾いている。触れた肌がじんわりと熱を宿す。神聖なものを愛しむように伏せられた目、長く影を落とす睫毛と同じ銀に鈍く反射する髪に、さっきより傾いたステンドグラスの西日が色を変えて新たな染みをつくって滲む。
あぁ、俺は今世界の何よりも、今世界で一番綺麗なものを見ているんだ。そう気がついたら時間が止まった。胸の中の風船がまた膨らみはじめて、膨らみ続けるのに、俺以外の時間は流れない。早く時間が流れて欲しい、苦しくてたまらない、破裂してしまったらどんなに楽だろう。苦しくてたまらないのに息が吐けない。苦しくてたまらないのに、苦しくてたまらないのに、この時間がずっと続けばいいとも思う。
手から長太郎の唇が離れれば、今度は俺だけの時間が止まってしまったみたいで身動きが取れない。言いたいことはたくさんあるのに、俺の体は音の出し方を忘れてしまった。さっきまで俺の腕を掴んでいた長太郎の、デカくてしなやかな手が俺の肩を包み込む。
「俺のこと愛してる?宍戸さん」
風船はこれ以上俺の中に収まりきらないのに膨らみ続ける。長太郎の熱くて甘い吐息が、俺の唇に触れ…
「おい亮!!長太郎!!!おっ!当たりだぜジロー!」
「やっぱここにいた!探したC〜」
バーンッと全ての空気をぶち破って登場したのは俺のサイコウの幼馴染だ。長太郎がぱっと肩から手を離す。
「うっおぁ!お前らノックくらいしろ!」
「は?教会ノックする馬鹿どこにいんだよ!つーか早く来いよ、跡部ん家のヘリ来たぜ?パーティー始まっちまう!」
早口でまくしたてた岳人がさっさと走り始め、俺がいっちばーん、俺が1番がE〜、という会話がもう遠く聞こえる。騒がしいやつらだ。心臓に激悪ぃ……
「宍戸さん、それじゃあお返事は今夜」
俺にウインクなんかした長太郎が、走ると危ないですよ〜と呑気な声をかけながら教会をあとにする。言葉の意味と雰囲気の高低差についていけない俺だけが残された。…俺は今最高に間抜けな顔してると思う。
「鳳もやるよねー」
「うわっ、滝!?!?」
「何だよ人をお化けみたいに。」
長太郎の背中を呆然と見ていた俺の横にすっと現れたのは滝だ。いつ入ってきたんだこいつは。
「岳人達と一緒にいたよ。気づかなかったの?」
心の中を読まれた。
「まぁ良いけど。それよりさぁ…」
滝が上体を曲げ、左手は腰に右手は顎の下に…いかにも何かを推理するポーズで俺の左手にずいっと顔を寄せた。
「マリッジリングね…さすが鳳、良いセンスしてるよ」
「まり…?ペアリングじゃねぇのか」
「あー、はいはい。鳳の口から直接聞きなよ、おバカさん」
お幸せに〜、俺に背を向けて歩きだした滝はひらひらと手を振った。どいつもこいつもワケがわかんねぇ…。ぐるぐると回る思考回路をかき消すように、バラバラと馬鹿デカい音が近づいて来た。…跡部のヘリだな。全く次から次へといろんなことが起きる。俺には忙しすぎるし、こっぱずかしいけど、悪くない。こんなこと言うガラでもねぇけど、こんな非日常的な毎日がいつまでも続いてもいいと、思う。
「亮ーーーーー!誕生日おめでと!!!早く乗れよ!!!!!主役だろ!!!」
ヘリの音に負けないように声を張り上げた岳人が呼んでいる。今日は最高の日だ。
「おう!!!」
勢いよく教会から飛び出して、皆の元に一直線に駆けていく。乾いた風が気持ちいい。いつも照れくさくて言えたもんじゃねぇけど…今日くらいは長太郎に言ってやろうと決めた。俺も愛してるぜ、長太郎。
左手の薬指が青白く小さな火を灯している。






【WBGM:Jackie Evancho/O Mio Babbino Caro】
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。