我らが氷帝に夏が来た。
夏といえば我らには謎の伝統がある。海外へのテニス合宿はもちろんだが、それより先に俺たちにはやることがある。そう、氷帝テニス部毎年恒例2泊3日の勉強会である。名目上は夏休みに部活に集中するためさっさと課題を終わらそう会…なのだが、男子中学生が9人も集まって黙々と勉強なんてできるか?答えはもちろんNOだ。結局プールやら花火やらテニスやらで楽しんで終わる。跡部はこういった催し物が好きなヤツだから上機嫌で今回も跡部邸の提供を提案したのだが、今年は日本家屋が良いと言ったのはジローだったか岳人だったか。それを聞いた跡部は跡部邸日本家屋バージョンを急遽建てる勢いでケータイを取り出したので滝がやんわりととめた。それから誰ん家がいいとかダメだとかあれこれ言いあって、
「なぁ日吉の実家って道場だよな」
そう言ったのは岳人。この話題を振られることを恐れて部屋の隅で存在を消していた若の肩がネコみたいにびょっと跳ねた。ドンマイ若、今年はお前の家で決まりだ。
それから若は頑張った。毎日毎日「嫌です」を繰り返した。誰に何を話しかけられても取り憑かれたように「嫌です」しか言わなかった若は完全にヤバイやつになっていたが。しかし、まことに残念ながら俺の幼馴染達は強い。最後の方は悲惨なもんで、毎10分休みごとにジローと岳人が2年棟に出没し、ついには跡部まで召喚した。黄色い声に包まれた廊下で彼の心はついに折れたようで、やつれた若にその日はジュースを奢ってやった。
そんなわけで、俺らはいま日吉家に世話になっている。

「っだーーーわっかんねぇ!!!」
思い切り突っ伏すと机に大散乱しているジロー達のペンが腕に当たってごろごろ転がり、飲み干された麦茶のグラスに当たって涼しげな音に変わった。合宿はもう2日目に差し掛かっている。
「おい宍戸、さっきから全然進んでねぇじゃねーの。」
こつこつこつ、ペンの先で跡部が机をつついて課題の続きを促してくる。こいつは課題なんてとっくに終わっていて優雅に練習メニューなんて作ってる。とびきり鬼畜なやつ。跡部は普段家にない畳が気に入ったようで、樺地の勧めた座布団を断って畳の感触を楽しんでいる。そういえばこいつが地べたに座ってる光景はあまり見たことが無かった、あぐらなんてかけんだな、なんて思う。さっさと終わらせろ、そう言う跡部に、うるせーむずいんだよ、と言うのも面倒で、黙って首を横にして縁側の方を見た。うっすら汗の浮いた顔にプリントがひっついてきたからぺりりと剥がす。
「…ねみぃ……………」
ちりんと風鈴が鳴いて、少し遅れてそよそよと来た風が湿った肌に心地良い。ブゥゥン……ブウゥゥン……と規則正しく強弱をつけてゆっくり回る扇風機を目で追っているとだんだん瞼が落ちてきた。
「当たり前だ さっきあんなにはしゃいでたからな。」
縁側には湿ったTシャツがずらりと並べて干されている。さっきまで中庭で水鉄砲バトルが開催され、最初は座って見ていた忍足や滝までもを巻き込んだ壮絶な戦いとなった。途中からは水鉄砲を放り出してバケツごと水をぶちまけ始め、ホースから直接水の攻撃を受けた。跡部がどこから持ち出したのか高圧洗浄機をかまえて来た時はさすがにみんな命の危機を感じ、撃たれる前に全水力を跡部にぶつけたもんだ。樺地が上空から雨のように水を降らし岳人が顔面をピンポイントで狙う。柄杓で水を撒く滝の姿が妙に似合って笑えた。そんな具合に散々水遊びをしてから本来の目的である勉強に取り掛かったわけだが……岳人とジローはありったけの文房具を出すだけ出しただけで『探検』と称して勝手に人の家を物色しに行った。誘われたが俺の課題量が激ヤベェ、俺のせいで部停はごめんだと一応断った。忍足と滝は買い出しに行くと言って出て行ったし、2年生は若の母ちゃんに頼まれて畑まで行ったようだ。
「なぁ跡部 ここわかんねぇ、教えてくれ」
体を起こさずに、ここ、とシャーペンの先で問題番号を指して斜め向かいにずいとプリントをスライドさせる。
「どう考えてもこの to いらなくねぇか?さっきから全然文にならねー……」
「アーン?ここ、ほら。イディオムつくれんじゃねーか。あと上の問題も綴り間違ってるぞ。」
顔を上げて跡部の指す箇所を見る。
「げ、マジだ サンキュな!」
「あぁ」
まだ眠気の乗っかった瞼を持ち上げて課題に取り掛かる。なんだ、1度教えられればすらすらと解ける。せっかくだから幾何の課題もこいつに聞いちまおう、とっ散らかっている机をかき回して問題集を探し出し、跡部に向けて開こうとして、跡部に視線を向ける。少し伏せられた目が部のノートを真剣に見つめ、頬杖をついた指先でこめかみをとんとん叩いて考えを巡らせている姿は人間的だ。まだ乾ききっていない鋼色の髪先から水だか汗だか雫が一粒、机に落ちた。朝露が花びらから零れるのに似ていた。
「なんだ」
俺の視線に気づいた跡部が目だけでこっちを見る。見惚れてたのか、と余計な一言も飛んできた。
「ちっげぇよ!!」
幾何聞こうとしたけど後でいい、と乱暴に告げてプリントに向き直る。跡部がくつくつと笑う気配がする。風鈴が忙しく鳴って、蚊取り線香の匂いを運んできた。ブタの形の蚊遣器が可愛らしくて、若の趣味かと聞いたが違いますと即答された。長太郎はこの蚊遣器がいたくお気に召したようで真剣に購入を検討していた。あいつの完全洋式の豪邸を次に訪ねればこのブタが鎮座しているかもしれないというなんともミスマッチな情景を想像していると、するりと動いた手が視界に入り、不意に声がかかる。
「宍戸」
嘘だろ。この声、嫌なトーン。マジかよ。来る。
そう気づいた時には頰に熱い吐息がかかっていて、反射的に目を瞑ると鼻の頭でちゅっと軽い音がした。目を開けて睨み付けると、すぐそこでアイスブルーの瞳が満足気に光っている。
「テメェいきなり何しやがる、人ん家だぞ、んっ!?」
身を乗り出した跡部がグイと俺の首を抱いて今度こそキスしやがった。何でいつもこいつの愛情表現は唐突で極端なんだ。
「っおい跡部!!やめろって!」
跡部の胸に両手をついて押し返そうと力を込めるもこいつは引かない。一瞬押し勝てるかと思ったが甘かった、跡部が全体重をかけた拍子に支えのない俺は畳の上に転がされてしまう。しまった。あっという間にマウントをとられてしまい、畳に手の甲が縫い付けられた。すかさず唇が降って来たのでそっぽを向いてかわす。そんな俺の意思表示など気にも留めず、こいつは首筋に舌を這わせて来た。厚い舌にべろりと首をなぞりあげられる感覚に思わず身震いする。ほんとに何やってんだ後輩の家で。絶対頭おかしいだろ。
「マジでふざけんな さっさと離せって言っ……」
また最後まで言い終わらないうちに口を塞がれてしまう。人の話を聞いてくれ、今圧倒的に正しいのは俺だと思うのだが。
「ん、…ぐっ……ゔ…ンン"ッ」
息つく暇さえ与えられずに何度も角度を変えて唇が触れ合い、抵抗の声は全部 う、とか ぐ、とか間抜けになって漏れる。
「ぶ、っは、跡部、あつい…離れろ」
「宍戸、もっと色っぽい声出ねぇのか」
「あ"ぁ!?ぶっ飛ばすぞアホ、変態」
酸欠の頭でもわかる、会話が全く成立してねぇ。俺の要求を聞け。
「……相変わらず可愛い気はねぇな」
「んなもんあってたまるかよ…はぁ…もういいだろ、どいてくれ」
「俺様がこれで満足するわけねぇだろ」
いや、頼むからしてくれよ。そんな懇願は届くはずもなく、今度は唇を舌でゆっくりと縁取るようになぞられる。こそばゆい感覚に戸惑っていると意地で真一文字に結んだ入り口を舌先でとんとんノックした。開けろ、という合図のようだ。俺が頑なに口を開けないので跡部は作戦変更。啄ばむような軽いキスを何度も何度もしてきた、と思ったら唇全体をべろっと舐られる。いつの間にかTシャツに侵入している左手が俺の脇腹に出来た新しい傷を指先で引っ掻き、ピリッとした痛みが走った。
「い"っ…………!」
突然の刺激に声をあげればすかさず舌がねじ込まれてしまう。そうなるともう俺の口腔内は『俺様の独壇場』になるらしい。上顎の皮の薄い部分を舌全体で擦られる度にぞわぞわした感覚が口内から脊髄を通って全身に回る。少しでもその感覚に抗おうと自らの舌で押し返すつもりが逆に絡め取られてしまい、じゅっと音を立てて吸われた。息継ぎをしようと一瞬離された口から銀の糸が引いて切れ、跡部の口の端に引っ付く。それをぺろりと舐めとってから湿った前髪を片手でかきあげて、また俺に覆い被さって来た。ちりちりと騒いでいた風鈴もいつの間にか黙りこんでいて、低く唸る扇風機と蝉の声に合わせて暑さが部屋に染み込む。
「…っふ、宍戸、」
「はっ、んぁ…っ……む、んん、ん"」
ぬるついた口腔内を余すところなく舌でかき混ぜられてしまえば力はぐにゃりと抜けていき、飲み込みきれない蜜のような粘度をもった唾液はだらりと溢れて零れる。はむはむと唇を食んでくるその仕草に愛しさを覚えてしまう。お互いの舌は口内でもつれ合って、もうどちらのものかわからない。
ヤバイ、気持ちいい……
じわり、と脳の奥が溶けていく。もうとっくに抵抗をやめた俺の頭を、いい子、と言わんばかりに優しく撫ぜて舌を絡ませる跡部と俺からぐちゅぐちゅと溢れ出る粘着質な音。頭ん中がぼぅっとして、ただ自分の口腔内でうごめく跡部の舌を追った。時折思い出したように上顎を舐りあげられれば甘さを孕んだ音が鼻にぬけていき、跡部が目を細めて笑う。背筋がぞくりと跳ねる。熱のこもった氷の瞳に見つめられれば、俺はもう何もできない。心地よさと眠気に目を伏せようとしたその時、跡部の舌の動きがピタリと止んだ。ずる…と抜かれる舌先から垂れた唾液が俺の唇に落ちる。突然止まった愛撫に俺ははてなマークを浮かべて目を開き、跡部の視線の先に目玉を動かした。
「わっ、わわわわわ若!!?!?!」
そこには襖を開けてお盆を持って立ち尽くす若の姿があった。最悪だ。最悪だろ。
「っ若!!!ちげぇんだよこれは!だから、その、オイ跡部どけ!!!!!!」
必死に頭に酸素を送って溶けていた腕を跡部に押し付ける。
「……何してるんですか」
「スキンシップだ。チッ良いところだったのになぁ、宍戸。」
こいつ本気で何言ってんだ、俺に問いかけるんじゃない。若、俺は悪くないんだ。俺は悪くない…そう思いたい。
「人の家で勝手に盛るなんてよくもこんな非常識な真似ができますね。」
そうだな若。お前が世界一正しい。そんな目で見ないでくれ若。恥ずかしすぎて死ぬ。
「……激ダセェ……………………」
いつまでも退かない跡部を押すのをやめて俺は両腕で顔を覆った。
「日吉、何か用があったんじゃねぇのか」
「あんた達が散らかしたグラスでも片付けてやろうと思って来てみればこれですよ、最悪です。それから2人にスイカでも買って来て貰おうとしたんですが…」
ハァ……と思いっきり溜息をついてから、もういいです、と軽蔑の視線を向けた。
「いいだろう、俺様が買いに行く。」
「あんた人の話聞いてます?…ジローさん達はどこですか。」
「あいつらは探検に行った。道場を見に行くとか言ってたな。」
若は頭が痛いと片手を額にやってまた溜息をついた。
「どうしてあんたらは勝手に人の家を………」
「樺地達はどうした」
「樺地と鳳は台所で夕飯の下準備してます。…ほんとに何なんですかあんた達は」
わかる、痛いほどわかるぞ若。ほんとにごめんな。
「……皆には言わないでくれ…」
俺が死にかけの蚊みたいな声で頼む。
「言いたくもありませんよ。皆働いてる中先輩達がこんなことしてたなんて恥ずかしすぎて誰にも」
見に来たのが若で本気で良かったと思う。日頃から下剋上を掲げているだけあって、その言葉は先輩相手に容赦がない。辛辣かつ適切だ。ありがてぇ。
「ほら、宍戸。スイカ買いに行くぞ。」
「ふざっけんなテメーとは死んでも行かねぇかんな!!!!!」
渾身の力を込めて跡部を振り払ってふらつく体を起こし、口の端についた涎を乱雑に腕で拭った。思ったよりもぬるりとしたそれの感触に頰がカッと熱くなる。そんな俺を見て跡部はおかしくてたまらないといった様子で、若は呆れ果てて片付けを始めた。
「ち、長太郎手伝ってくる!!!!!!」
そう叫んでダッシュで台所に向かった。背中で何やら2人が話している。
「寝室は今日も全員同じ部屋ですからね、うちに2人部屋の客室なんて無いので。」
「なんだ、見てぇのか?」
その後に続いた若の舌打ちほど完璧な音を、俺はもう一生聞かないだろう。今日は絶対に跡部の近くで寝まいと固く決心した。



その日の夜はバーベキューだった。日吉家で獲れた夏野菜を切って(俺が切ったやつだけは長太郎や樺地のと違ってデカかったり小さすぎたりだったからジロー達にからかわれた 別に食えればいいだろ食えれば)道場で爆睡をキメていた岳人とジローが商店街で値切って買って来た肉を大量に焼いて食った。跡部とは昼の一戦があったので最初は避けていたのだが、美味いな、なんて心底楽しそうに話しかけてくるもんだから、俺もつられてしまった。こういうのは楽しくやるのが1番だろうと思ったし、ぐずぐずすんのはガラじゃねぇ。それから跡部と長太郎、滝がラムネの瓶を開けるのに大苦戦していたのでポンと開けてやると予想以上に喜ばれ、わざと大袈裟に胸を張ってやった。飯の後は忍足と滝がこれまた大量に買ってきた手持ち花火を出して、昼間に大活躍したバケツに水を汲む。ジローが両手の指の間全部に花火を挟んではしゃぎ、忍足は色の変わる花火を気に入ったらしかったが見入る暇もなく岳人に横から火を貰われ続けていた。若がネズミ花火にこっそり火を付けると長太郎が飛び上がって驚いたので、みんなで笑った。手持ち花火を瞬く間に消費してしまうと次は爆弾みてぇにデカいスイカが3玉、キンキンに冷えて出てきた。結局若と跡部が買いに出たやつだ。スイカを抱えて帰ってきた時の若はまた疲れた顔をしていたが、だいたい何が起きたか予想はつくので黙っておいた。当のスイカ割りではジローが忍足を殴りかけたり、樺地が力加減誤ってスイカの中身を飛散させるなどなど多くの事件がありつつも、タネ飛ばし競争では俺と岳人がデッドヒートを繰り広げる熱い戦いとなり、皆ちゃんとスイカにありつけた。スイカをハエから守りつつ取っておいた線香花火が全員の手に渡った。夏の夜はこれで締めなきゃ意味がねぇ。同時に着火して、美しく散る火花にわぁと小さな感嘆を漏らしたのも束の間、静かな戦いが始まった。俺のは今の所優勢と見えて、長太郎のが1番ヤバそ…
「あっ!!」
「うぉあ!?なんだよ滝!!!」
隣にいた滝が突然俺に向かって大声を出したので、びっくりして手を大きく動かしてしまった。ぽとっ、落ちた先が地面で少し弾けて消えた。
「おい滝!!てめぇやりやがったな!」
くっくっと笑う滝、岳人は指をさして笑っている。滝をきっかけにまたまた醜い落とし合いが始まった。最終的に跡部VS樺地という激面白い展開になったので、俺岳人ジローはもちろん跡部の背後に回り込んだ。せーの、で3人とも大きく息を吸い込んで跡部の肩を押す。
「ワッ!!!!」
ぽとり。
「よっしゃ〜樺地の勝ちだC〜!」
「跡部の負けだぜ!」
跡部に勝ってしまいどんな反応をすべきかオロオロしていた樺地だったが、喜ぶ俺たちと、それをみて嬉しそうに笑う跡部を見て樺地も微笑んだ。




そんなこんなで俺たちの勉強会は終わった。課題なんてもちろん終わっているはずはないが、まぁなんとかなんだろ。今年も随分と濃い思い出が増えちまったもんだ。まだまだ俺たちの夏は始まったばかりである。
勉強会を終えてすぐ通常の夏休み練習に戻った俺たちに
「宍戸だけ蚊に刺されすぎじゃないか」
と話しかけられる度俺が地に膝をついて顔を覆い、忍足と滝が吹き出して若が溜息をつき、跡部が得意げにスマッシュを決める光景がしばらく見られたのは、また、別の話。
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