眠らなければ夢も見られないだろうか。

言ってしまってから、ちょっとだけ後悔したかもしれない。この手のジョークは通じないとわかっていたけれども。
「ま、俺はお前みたく才能ねーけど。」
案の定跡部は眉をひそめたが、
「俺様と比べれば誰でもそう思う。思うだけだ。」
そう言ってハンドルを握り直す。
大丈夫だ。家の中からそろりとついてきた不機嫌も、俺たちの代わりに眠っている。
囁くようなボリュームで流れるサウンドトラック。次の曲にうつる小さな沈黙を勝手に頭の中で埋める。少し遅れて、俺の脳内と同じ音がカーオーディオから流れてきた。跡部が一番好きなやつ。
ほとんど全開にした車窓に肘をついて、真夜中のバイパスの風は腫れた頰に心地よかった。
俺の頰を冷ましていった風が跡部の前髪を揺らす。等間隔で並んだライトが跡部の肌の上を、不規則に風に遊ばれる髪と高い鼻、長い睫毛の落とす影をつくっては次々と流れていく。
俺の視線に気づいた跡部がちらりとこちらに目をやってから言った。
「テメーに殴られたとこが痛む。」
「俺も同じこと言おうとした。」
ふは、そう笑ったら跡部も口角を上げた。

「喉乾いた。」
「あぁ。」
俺が指差したパーキングエリアの標識の方向にウインカーを出してスピードが落ちる。
外車のスポーツカーが入るにはこぢんまりとして素朴なパーキングエリアは、俺たち以外に誰もいなかった。ぼんやりと点いている街灯と明るすぎる自販機よりも、月明りがすっと車内を照らす。
エンジンが止まって、音楽も消えた瞬間の静けさが何かの合図みたいに聞こえた。
跡部を見る。月をこんなにも美しく吸い込むアイスブルーは、きっとここにしかない。ゆっくりと近づいてくるキスの気配も、これを見るための対価だと思えば悪くないと思う。自らも身を乗り出して唇を合わせた。ガラス細工に触れるようなキス、そこからはもう何十、何百と繰り返してきてしまったから知っている。お互いの感触と気持ちを確かめるように何度も触れて、いつもどちらかが水音を立ててみる。
跡部の掌が俺の頰に添えられた。熱を持った痛みに一瞬顔をしかめた俺を、跡部の唇があやすように優しく食んだ。親指で頰をすり、と撫でられる。もう片方の手はいつのまにか肩に添えられていたから俺も跡部の肩に手をかけた。Tシャツ一枚の下の体温を感じる。頰の手を剥がしてやった俺の手をそのまま絡めとられ握られて、社交ダンスをする時みたいな格好になっておかしかった。俺の口元が緩んだから跡部もそれに気づいたようで、肩に置いた手を腰に回してキスをしながらわざとらしく体を揺らす。
2人きりのワルツを、何度踊っただろうか。
離れた唇からお互いを繋いだ銀色が月に光る。切れる前にもう一度、跡部の唇ごと舐めとった。
「お前のことが、いつまでも全然わからねぇ。」
「俺もお前のこと、全ッ然わかんねー。」
眠っても、俺たちは同じ夢を見ない。
俺はお前が聞いたこともない音を知って、お前は俺が見たこともない色を知る。
決して交わらない俺たち。そうであるはずだった。
少し真面目な顔で見つめあって、俺が噴き出した。跡部の他に誰がいるわけじゃないけど、可笑しくてたまらないのを誰かにバレないようにするみたいに笑った。
「ほんと、わかんねー。これも、」
鼻の先にキスをする。今度は跡部から唇にキスして、体温の低い舌が絡まった。
「これも全部な。」
「あぁ、本当だ。」
運命とか奇跡だとかは問題じゃない。
この星にいるということは、愛し合えるということだ。
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