彼女が香水を変えると、決まって恋が終わった。
「こいつさ、また彼女と別れたんだぜ。」
「え〜、勿体無いことしよるわ。」
忍足が指定した居酒屋の個室、薄い壁1枚を隔てて聞こえる人の声の波をバックに枝豆をつつく。
「おいおい、そんな女癖悪いみたいに言うなよな」
別に彼女を取っ替え引っ替えしているわけではなかった。ただ昔から宍戸が先に家庭を作りそうだの良いパパになりそうだの言われていたから。
「わかりやすいよね、宍戸。」
たまには背中押してやろっかな、滝が小鉢に菊の花を散らしながら言った。
「は?」
「ううん、こっちの話。ジローそこの醤油取って。」
ちょっかいをかけてきたかと思えばするりと抜けて行く。なんだよあいつ、いっつもわけわかんねぇ。醤油に浸したマグロを口に運んだ。
最近気づいたことがある。
付き合ってきた彼女達の香水の香りに、どこか共通点がある。昔から鼻が効いた。だが生憎俺にはセンスがないらしい、嗅ぎ分けられても、それが何の匂いかまではわからない。(昔褒め言葉のつもりで滝のことをばーちゃん家の石鹸の匂いと例えて怒られた。後に両方とも金木犀の香りと判明し滝は機嫌を直した。)
でも何故か今夜は、運悪く冴えてたみたいで。
「あぁ、あの匂いは」
ビールのジョッキを傾けて一口含む。誰に聞かせるわけでもなく、ぽつりと言った。
「薔薇だ。」
特に大した感動もなく、あぁ確かにみんなそうだと思い出す。
それをつけてるやつはだいたい俺と趣味が合わない、なのに毎回妙に惹かれて痛い目を見る。贅沢家で派手好き。ころころ持ち物を変えて、匂いまで。
そこがあいつと違うところで、ずっと変わらない甘ったるい薔薇の、俺はあの香りを……あいつ?
「宍戸、ほらお猪口持って。」
「ん?あぁ、わりぃ。」
滝がこの店で美味いと評判の日本酒を勧めてきた。ほとんど瓶の中身はなくなっていた。話題はとっくにころころ変わっていて、岳人が滝から芸能人のゴシップを聞き出そうと必死になっているところだ。
「ねーねー、ほんとに跡部遅いね〜。」
もう料理なくなっちゃうじゃん、跡部のために残すとか言っていた刺身をばくばく食べながらジローが言う。
「…噂をすれば、王様の帰還だよ。」
個室のドアが開いて、あまりに居酒屋に似つかわしくない派手な男が入ってきた。空間の彩度が上がったような錯覚をおぼえる。
「跡部おかえり〜!!!」
「おう、待たせたな」
ぶわり。
酒と煙草とつまみ、笑い声や人の匂いを押しのけて、鼻腔を満たした香りに、体温の上がる音がした。
中学時代から飽きるほどずっと側にあった香りのはずなのに、こんなにも強烈に脳に響く甘い香り。
ずっと同じ、ずっと変わらない。世界でただ一つ、こいつからしか漂わない香り。
心臓がばくばく喚いて、胸が苦しい。気づかなきゃよかった。頭がぐらぐらする、なんだよ、バカでもわかる。これは。
それはあまりに残酷で、すとんと自分の中に収まってしまった。この感情が溢れ出てしまわないように胸の内でかき集める。あたたかい心のはずなのに、絶望と虚しさが混じって広がってきた。
跡部がゆっくり歩いて、影が重なる。薔薇が濃くなる。ごくりと喉を鳴らして、馬鹿な俺は座布団を叩いたんだ。
「おい跡部、ここ来いよ。」
滝のすすめてくる日本酒をがばがばと胃に流し込んでどうにか紛らわそうとしている自分がダサすぎる。でもよ、これしか思いつかねぇんだ、今までの自分に全部説明がついちまったから。
なぁ跡部、許されねぇことなんだけどさ。俺がずっと探していた薔薇は、