背中にはねが欲しいらしい。

「昆虫みたいなやつかもしれませんよ。」
半分からかうつもりで言ったら、思っていたよりも強い大反発を受けた。浪漫がねぇだの羽って普通はこうだろだの両手を目一杯広げてキンキン騒ぐ声にため息をつく。それにまた後輩のくせに生意気だとか言って、元気な人だ。
「わかりましたよ、落ち着いてさっさとやりましょう。」
「お前が変なこと言うからだろ!!」
ったく、と文句を言いつつ手元のノートに視線を戻す。
昼休みの終盤だ。中庭で今日のダブルス練習メニューを組み直している、もう大会はすぐそこだ。
半分は本気で言ったのだ。
空気よりも軽いのに、風を切って飛ぶ。トンボの羽を俺は美しいと思う。その薄い透明一枚の美しさをこの人は、持っている。
「おい向日ー、授業遅れっぞー。」
「もうそんな時間か!?おし、じゃあな日吉!」
教科書とノートを抱えて勢いよく椅子から立ち上がった向日さんが、手招きをするクラスメイトの方へ走り出す。木陰の黒から眩しい光の外へ、一歩。
「そっちは、」
伝わってきたのは華奢な手首を掴む感触。いきなり手を引かれた向日さんの髪が乱暴に揺れて、大きな目が驚きに開かれて隙間から俺を捉えた。
はっと我に返って、言葉を引き戻すには遅かった。
「危ないですよ。」
「へ?」
その薄くもろい羽が、掴まれ人混みに揉まれてしまう。ぴんと張った透明に青空をすっきりと映せない。くしゃくしゃになった羽じゃ、うまくとべない。
しぶとい蝉の声がまだ中庭に響いて、半分だけ光の中の赤紫が風になびいた。藍の瞳だけが俺を、見ている。
「あ………、なんでも、ありません。」
ぱっとつかんでいた手を離す。馬鹿だ。おかしいんじゃないか。
「なんだよ!ビビったじゃん、お前暑くてどうかしたか?」
「…すみません。」
「別にいーけど。じゃ、また放課後な!」
幼い頃にトンボを離した後の、あの感じだ。
人差し指に羽休めに来たトンボをそっと捕まえて、かすかな羽の、強い震えに気がついて手を解く。2、3度羽を細かに震わせてまたすいすいと飛んでいく。俺1人と夕日を残して。
「また放課後、ね。」
…あんたのせいで。
目を回してるのはこっちの方だ。
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