バシャン!

コンクリートの床と、眠りたがった意識に思い切り打ち付けられた水の音が跳ねる。一瞬遅れて、全身に凍りつくような温度が張り付き目が覚めた。
「げほッ、けほ…!ゔ、っは……!」
気管に入った水を出そうと必死に跳ねる体と状況理解の追いつかない頭、ただ息をするのが苦しくてたまらない。
「おっ、起きた起きた。」
「ねんねしてもらっちゃ困るよ〜宍戸サン。」
重すぎる瞼をうっすら開ければ、黒スーツを身にまとった数人の男が俺を囲んでけらけらと笑っている。1人が放ったバケツの音が虚しく反響した。げほげほと咳き込みながら酸欠の頭で考える、こいつらは誰だ、俺は今何してる?
「ほら、そろそろ吐いて楽になっちゃえば?」
1人が俺に近づいて顎を掴み、上を向かされた。髪の先から落ちる水がコンクリートを黒く染める。
だんだんとはっきりしてきた意識が記憶を一気に手繰り寄せた。そうだ、こいつら。
目の前の男をキッと睨みつけて顔面に一発入れてやろうと思ったが、手首にじりじりとした痛みが食い込んだ。クソ、手を後ろで縛られているのを忘れていた。きつく巻かれた麻縄が、拘束を解こうとがむしゃらに力を入れて出来た傷跡に追い打ちをかけて焼けるように熱い。冷水が身体中の傷にしみこんでじんじんと痛んでいるのがわかってきた。足が鉛のように重くて力が入らない。そんな自分にイラついて舌打ちをした。
「おーおー、怖い怖い」
「そろそろ言ってもらわないと困るんだけどなぁ」
「げほ……ハッ、誰が言うかよ。」
こいつらが知りたがっているのは氷帝の重要任務データのパスコード。俺と滝、長太郎の3人で極秘ルートを使っての移動中のことだ、完全に油断していた。突然の襲撃に長太郎が深傷を負ったので滝と長太郎を先に逃がそうとデータを持った俺が囮になったのだが…そこから先は記憶がぶつぶつ途切れている。未だに鈍い痛みを訴える後頭部が憎い。はがれた絆創膏の下からたらりと流れているのは汗か、どちらだろう。
「はぁ、何でよりによって番犬連れてくんだよ」
全然喋らねーじゃん、少し離れた所にあるテーブル上の液晶画面を苛立たしげにつつく男が言う。
「ねー番犬さん、早く言わないともっと痛い目にあうよ?」
お前らなんかに言ってたまるか、返事をする代わりに俺の顎を掴んでいる男の手を振り払って指を思い切り噛んでやった。
「っこいつ…!!」
瞬間、左の頬に鈍く重い衝撃が伝わる。無抵抗の体が床に倒れ込む。頬が燃えるように熱い、左目の瞼が痙攣している。どうにか体を起こそうと身をよじった。
「………ぁ”、っ…………!?」
ドン、と音が聞こえたような気がして、起き上がることは叶わなかった。全身から力が抜ける。何が起きたかわからないが体はくの字に曲がって、ぶわっと汗がふきだした。男の蹴りが鳩尾に入ったのだ。
「が、はッ…!?ア、ゔ…おぇ、っ…!」
急所に容赦のない蹴りを食らった喉は音も出せない、手足の先がびりびりと痺れている。うねって口から飛び出そうな内臓の痛みをやり過ごすのに精一杯で呼吸なんてできやしない。なんとか息を吸おうとしている俺の体を2人の男が起こして座らせる。
「っふ、う…はぁ、ッはぁ、」
「言う気がねーならその気にさせてやるよ。」
男達が俺を取り囲んで拳を固く結んでいる。こんな奴ら、怖くないはずなのに。青いシャツにはどこから滲んだのか赤い染みが浮き上がり、はだけたスーツの隙間から覗く肌に青や黄の痣が浮かんでいる。
「あは、宍戸サン震えてんの?怖い?」
散々痛めつけられた体は意思とは関係なく恐怖に震えている。馬鹿野郎、震えてる場合なんかじゃない、こんなとこ見られたら激ダサじゃねーか。さっき切れて口の中に広がった赤い味を床に吐き出す。
「フン…!かかってこいよ、俺は絶対に言わねぇ」
「へー、かっこいーね。」
来る、本能が危険を感じてぎゅっと目を瞑る、我ながら意味のない行為だ。男の嘲笑を合図に全身に鈍い音が響いて骨が軋んだ。また倒れこんだ体に四方八方から容赦ない蹴りが入る。
「い”ぁ”…ッ、ぐ、ぇ”っ……!」
どれくらいそれが続いたか、短かったかもしれないし、俺が一瞬気を失ったのかもしれない。蹴りの嵐が止んだ時、俺の頭を男の革靴が踏みつけた。
「いっ、ゔ……」
「まだ言わないつもり?」
だらり、鼻から生温かい温度が流れ出てきた。口で荒い呼吸を繰り返すことしか出来ない俺に焦れたのか、男に前髪を掴まれて思い切り引っ張り上げられる。無理矢理あげられた顔の前に、燻んだ注射器が掲げられていた。
「宍戸サン、これ、使ってい?」
にやにやと楽しそうに笑う男は注射器の中の液体をぽたりと少し押し出して見せた。回らない頭ではそれが何かなど考えることも出来ない。ただ、確実にそれを打たれればきっとおかしくなる、それだけは、ダメだ。自由の効かない頭を精一杯横に振る。
「喋ってくれないからさ〜仕方ないね」
「や、め……」
前髪をぐいと引っ張られて露わにされた首筋に注射針が近づいてくるのがやけにゆっくり見える。悔しさと絶望感に唇をぐっと噛み締めたときだ。
「おい宍戸、随分と無様な格好じゃねーの」
空気がぴしっと凍る音が聞こえた。
「あ……ろ、べ…っ」
「うちの番犬が、世話になったな。」
びりびりと肌に伝わってくる殺気を無理矢理振り払うように、髪を掴んでいた男が押しのけるみたいに俺を離した。コンクリートに打ち付けられた頭がぐらぐらする。
「跡部景吾…!何でここに…!」
「ハウスが出来ねぇ犬を迎えにな。」
歪む視界の隅で跡部と目が合った。
あぁ、俺、助かったんだ。
「王様直々にお迎えってわけかよ…」
チッ、数人の男が舌打ちをして身構えた。バーカ、跡部相手にお前らに勝ち目はねぇよ。安心した体から力が抜けていき、遠くの方で肉のぶつかる音と、どさりどさりと音がした。かすかに薔薇の香りが漂ってくる。
「さぁ、帰るぞ宍戸」
ふわり、体が宙に浮く。跡部が俺を抱き上げて、痛む頰を血のついた手袋を取った手で撫ぜた。無茶しやがって、眉間に皺を寄せてそう言う。
「よく頑張ったな。」
霞んでいく視界の中で跡部が優しく微笑んだ。やっと帰れる。跡部の腕に包まれて、俺の意識は暖かい眠りについた。
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