でも私は貴方だって、私たちはわかってる。
目が開くのと同時に、肺に酸素が入り込んだ。吐き出す機能を咄嗟に思い出せない体、急に膨らんだ胸が苦しい。
夢をみていた。
夢。
夢、そう理解が追いついて、唇の隙間からやっと空気が漏れ出ていった。
脳味噌の端に、悪夢の尻尾がちらついている。もう鮮明に思い出せないそれをたぐり寄せようとゆらめく先を掴みかけて、頭の中が灰色になる。
「怖い夢でもみちゃった?」
ベッドサイドの微かな灯り。私が目を覚ましたことに気づいた嶺二が、読んでいた台本をぱたんと閉じた。
しおりを挟まないまま。
私は腕で目元を覆ってもう一度息を吸い、深く吐いた。
「うん、覚えてないけど。夢でよかった」
「よしよーし怖かったね、安心しておやすみ」
嶺二が毛布の上から私をあやすように撫でる。
とん、とん。とん、とん。
ゆっくり刻まれるリズムに合わせ、眠りの浅瀬を揺蕩う感覚に身を任せようとしたその時。
水底へ引きずり込もうとする影をみた。覚えのない恐怖の続きがすぐそこで待っている。逃げようと陸へ向かって目を開けると、見知った天井がうつった。
毛布を手繰り寄せようとした手が動かないことに気がついてまた目が覚める。
嶺二のいる場所へ首を回して手を伸ばそうとしたのに届かなかった。
こんなに近くにいるのに、嶺二はこちらが見えているはずなのに。
れいじ。
そう呼ぼうとした瞬間、時間が戻ってまた天井が見えた。
確かに視界は広がっているのに、目は固く閉じたままの感覚が気持ち悪い。
この光景を振り切るために重い瞼を必死に持ち上げようとした。
自由の効かない指のその先から、嶺二の体温が近づいてきたのがわかった。
夢の膜の裂け目を見つける。
やっと薄く開いた瞼、眼球が忙しなく動いている。
「ん、どうしたの?」
「れぇ、」
本物の声が出た気がした。まだ上手く動かない指先を嶺二が握ってくれる。
「うん。嶺二。なあに?」
「どっちかわかんなくて、いま私って、」
これも夢だったらどうしよう。悪夢が蜘蛛の巣みたいにまだ付き纏っている。
「大丈夫。こっちが現実、ホントだよ」
嶺二が私の手をとって自分の頬に当ててくれた。
「ねぇぼくのこと見て。ほら、れいちゃんここだよ、ホンモノでしょ?」
重ねた手を嶺二が柔らかく握る。
少しずつ指先に血が通っていくのがわかった。
世界の輪郭が嶺二から広がる。
「ね? もう大丈夫」
そっと背に腕を回されて、体を起こしてくれた。現実に戻っていく重い体をそのまま嶺二に預ける。
「怖かった」
嶺二の胸に頬擦りした。嶺二の匂い。
「うん、怖かったね、おかえり」
彼が私を抱いて、永遠みたいな一瞬が訪れる。
私の体って嶺二に抱きしめられるために、そのための形につくられたのかもしれないと思った。
神様のおかげで。
同じ石から彫り出された魂がぱきんと割れて私たちになったのかも。神様のせいで。
嶺二もきっとそう感じたのだとなんとなくわかる、私たちは不安の波長が同じだから。
先に怖がったのは嶺二で、ずっとこうしているべきだったけれど上を向かされた。名前を呼ばれたから。
額に優しくキスが降りてくる。
「あったかいもの飲む? あ、いっそさ、リビングで映画とか見ちゃおうか」
私が時計を見るより先に、嶺二が続けた。
「ぼくが提案してるんだから、ぼくは大丈夫だよ。ねっ?楽しいと思わない?」
もう一度、触れるだけのキスとオマケのウインク。
「すっごく素敵」
「でしょ? おいで」
☾
嶺二は抱きかかえた私をリビングのソファに恭しくおろして、いつもの大判のブランケットをかけた。
「寒くない?」
彼の家はいつだって同じ室温が保たれているけれど、今は少しだけ肌寒いような気がして嬉しかった。
テーブルに置かれたあたたかい葡萄ジュース。たちのぼる湯気からシナモンの香りが漂う。
「れいちゃんも入れてっ」
ブランケットを半分こした嶺二がテレビのリモコンをいじった。灯りを落としたリビングで数秒、私たちは深夜番組に照らされる。
映画番組の録画リストをだいぶ遡ったところで嶺二の手が止まった。
「これ懐かしくない?」
「わ、子どもの頃めっちゃ見てた」
「だよね、ぼくも」
これにしよっか。再生ボタンが押され、見慣れたロゴマークのオープニングが始まる。
嶺二にもたれかかれば、腰に手が回って優しく抱き寄せられた。またぴったり重なるところ。
嶺二を見上げると、ばちんと視線もはまる。
映画はシーンが切り替わって、嶺二の肌の色も変わった。私もいま、同じ色をしているのだと思う。
私と嶺二の瞬きの音が聞こえた。
いつだって打ちのめされる。許せないのに認め合える。だから手放すこともできない、ひどいでしょう。笑っちゃうくらい。笑って。安心するから。
テレビから流れ続ける音量がひとつぶん大きくなった感覚、ふっと現実に戻った気がして画面に目をやると嶺二がいた。
二、三年前の録画だったようで、少しだけ古いコマーシャルだ。嶺二がアンバサダーをやっている大手のドーナツチェーン。この年の新作は日本茶のフレーバーだった、和服に身を包んだ嶺二がこちらに微笑む。
「私、これ大好き」
「ぼくも好き」
次々に映画の隙間を埋めていくコマーシャルたちは、ほんの数年前のことだっていうのに、もうどこかノスタルジーを纏っていた。
何度目かのコマーシャルがあけたところで、嶺二が不意に私の体を腰から軽く持ち上げて、私ごと、ごろんとソファに寝そべった。
嶺二の声が少し上から降ってくる。
「ふふ、ラッコの親子みたい」
「ねえ、ちっともロマンチックじゃない」
くすくす笑い合って誤魔化した。本当は、こうしていたくて、怖くて、でも我慢できなかっただけだったから。
嶺二におさまった私を、彼は後ろから強く抱きしめて深く息を吐く。私たちって寂しくて、それを認めたくないだけだった。
嶺二の呼吸で私の体は揺れ、私の鼓動で嶺二が震える。
目を閉じる。
次に目が覚めたら嶺二はいないんだろうと思った。また嶺二をおいていってしまう。夜に取り残されるのは寂しいでしょう、私も貴方も。
ひとつに戻りたい。
目が開くのと同時に、肺に酸素が入り込んだ。吐き出す機能を咄嗟に思い出せない体、急に膨らんだ胸が苦しい。
夢をみていた。
夢。
夢、そう理解が追いついて、唇の隙間からやっと空気が漏れ出ていった。
脳味噌の端に、悪夢の尻尾がちらついている。もう鮮明に思い出せないそれをたぐり寄せようとゆらめく先を掴みかけて、頭の中が灰色になる。
「怖い夢でもみちゃった?」
ベッドサイドの微かな灯り。私が目を覚ましたことに気づいた嶺二が、読んでいた台本をぱたんと閉じた。
しおりを挟まないまま。
私は腕で目元を覆ってもう一度息を吸い、深く吐いた。
「うん、覚えてないけど。夢でよかった」
「よしよーし怖かったね、安心しておやすみ」
嶺二が毛布の上から私をあやすように撫でる。
とん、とん。とん、とん。
ゆっくり刻まれるリズムに合わせ、眠りの浅瀬を揺蕩う感覚に身を任せようとしたその時。
水底へ引きずり込もうとする影をみた。覚えのない恐怖の続きがすぐそこで待っている。逃げようと陸へ向かって目を開けると、見知った天井がうつった。
毛布を手繰り寄せようとした手が動かないことに気がついてまた目が覚める。
嶺二のいる場所へ首を回して手を伸ばそうとしたのに届かなかった。
こんなに近くにいるのに、嶺二はこちらが見えているはずなのに。
れいじ。
そう呼ぼうとした瞬間、時間が戻ってまた天井が見えた。
確かに視界は広がっているのに、目は固く閉じたままの感覚が気持ち悪い。
この光景を振り切るために重い瞼を必死に持ち上げようとした。
自由の効かない指のその先から、嶺二の体温が近づいてきたのがわかった。
夢の膜の裂け目を見つける。
やっと薄く開いた瞼、眼球が忙しなく動いている。
「ん、どうしたの?」
「れぇ、」
本物の声が出た気がした。まだ上手く動かない指先を嶺二が握ってくれる。
「うん。嶺二。なあに?」
「どっちかわかんなくて、いま私って、」
これも夢だったらどうしよう。悪夢が蜘蛛の巣みたいにまだ付き纏っている。
「大丈夫。こっちが現実、ホントだよ」
嶺二が私の手をとって自分の頬に当ててくれた。
「ねぇぼくのこと見て。ほら、れいちゃんここだよ、ホンモノでしょ?」
重ねた手を嶺二が柔らかく握る。
少しずつ指先に血が通っていくのがわかった。
世界の輪郭が嶺二から広がる。
「ね? もう大丈夫」
そっと背に腕を回されて、体を起こしてくれた。現実に戻っていく重い体をそのまま嶺二に預ける。
「怖かった」
嶺二の胸に頬擦りした。嶺二の匂い。
「うん、怖かったね、おかえり」
彼が私を抱いて、永遠みたいな一瞬が訪れる。
私の体って嶺二に抱きしめられるために、そのための形につくられたのかもしれないと思った。
神様のおかげで。
同じ石から彫り出された魂がぱきんと割れて私たちになったのかも。神様のせいで。
嶺二もきっとそう感じたのだとなんとなくわかる、私たちは不安の波長が同じだから。
先に怖がったのは嶺二で、ずっとこうしているべきだったけれど上を向かされた。名前を呼ばれたから。
額に優しくキスが降りてくる。
「あったかいもの飲む? あ、いっそさ、リビングで映画とか見ちゃおうか」
私が時計を見るより先に、嶺二が続けた。
「ぼくが提案してるんだから、ぼくは大丈夫だよ。ねっ?楽しいと思わない?」
もう一度、触れるだけのキスとオマケのウインク。
「すっごく素敵」
「でしょ? おいで」
☾
嶺二は抱きかかえた私をリビングのソファに恭しくおろして、いつもの大判のブランケットをかけた。
「寒くない?」
彼の家はいつだって同じ室温が保たれているけれど、今は少しだけ肌寒いような気がして嬉しかった。
テーブルに置かれたあたたかい葡萄ジュース。たちのぼる湯気からシナモンの香りが漂う。
「れいちゃんも入れてっ」
ブランケットを半分こした嶺二がテレビのリモコンをいじった。灯りを落としたリビングで数秒、私たちは深夜番組に照らされる。
映画番組の録画リストをだいぶ遡ったところで嶺二の手が止まった。
「これ懐かしくない?」
「わ、子どもの頃めっちゃ見てた」
「だよね、ぼくも」
これにしよっか。再生ボタンが押され、見慣れたロゴマークのオープニングが始まる。
嶺二にもたれかかれば、腰に手が回って優しく抱き寄せられた。またぴったり重なるところ。
嶺二を見上げると、ばちんと視線もはまる。
映画はシーンが切り替わって、嶺二の肌の色も変わった。私もいま、同じ色をしているのだと思う。
私と嶺二の瞬きの音が聞こえた。
いつだって打ちのめされる。許せないのに認め合える。だから手放すこともできない、ひどいでしょう。笑っちゃうくらい。笑って。安心するから。
テレビから流れ続ける音量がひとつぶん大きくなった感覚、ふっと現実に戻った気がして画面に目をやると嶺二がいた。
二、三年前の録画だったようで、少しだけ古いコマーシャルだ。嶺二がアンバサダーをやっている大手のドーナツチェーン。この年の新作は日本茶のフレーバーだった、和服に身を包んだ嶺二がこちらに微笑む。
「私、これ大好き」
「ぼくも好き」
次々に映画の隙間を埋めていくコマーシャルたちは、ほんの数年前のことだっていうのに、もうどこかノスタルジーを纏っていた。
何度目かのコマーシャルがあけたところで、嶺二が不意に私の体を腰から軽く持ち上げて、私ごと、ごろんとソファに寝そべった。
嶺二の声が少し上から降ってくる。
「ふふ、ラッコの親子みたい」
「ねえ、ちっともロマンチックじゃない」
くすくす笑い合って誤魔化した。本当は、こうしていたくて、怖くて、でも我慢できなかっただけだったから。
嶺二におさまった私を、彼は後ろから強く抱きしめて深く息を吐く。私たちって寂しくて、それを認めたくないだけだった。
嶺二の呼吸で私の体は揺れ、私の鼓動で嶺二が震える。
目を閉じる。
次に目が覚めたら嶺二はいないんだろうと思った。また嶺二をおいていってしまう。夜に取り残されるのは寂しいでしょう、私も貴方も。
ひとつに戻りたい。
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