「蓮二が幽霊でも私は良いんだよ」
早朝の駅のホームで本を読みながら電車を待っている彼に、私は話しかけた。
「どういう意味だ?」
視線は本に向いたまま問いが降ってくる。小難しい英語ばかりがつらつらと並ぶ本に顔をしかめてから、だってさぁ、と切り出す。
「私見ちゃった、蓮二が私の体を通り抜けるとこ。」
右手をひらひらさせてニヤリと笑う。
「一瞬よ、一瞬だけ。蓮二の肩に触れなかったもの、幽霊なんでしょう。」
ラケットバッグを持った腕をぺたぺたと触って、今は触れるんだけどね、と首をかしげる。
「あの時油断してた?ねぇ、いつ死んじゃったの?」
「さあな」
まるで興味のない声にがっかりする。絶対に彼の秘密を握ってやったと思っていたのに。慌てて驚く蓮二を見たかったし、2人だけの秘密なんかにできたら素敵だなんて思っていたのに。む、と顔を膨らませてみても彼は文字から目を離さない。
「蓮二が幽霊でもいいんだって。私は蓮二が好きだもん」
幽霊ならなおさらね、ロマンチック、と少し背伸びして彼の頰をつつく。朝から元気だなお前は、と言う代わりに蓮二はため息をついてページをめくった。しなやかに言葉の海をなぞる指先が人間らしくて生々しい。あ、そうだ、ねぇねぇ、腕を掴んでゆらゆら揺らす。
「今度は何だ?」
「幽霊って殺したら死ぬ?」
「何を言いだすかと思えば。随分物騒なことを言うな。」
やってみていい?がたんごとんと遠くから列車の音がする。快速列車、次の駅まで止まらない。蓮二がやっとこちらを見てしばらく何か考えてから、あぁ、と返事をした。意外すぎる返事に驚いて一瞬まばたきを忘れたけれど、今日初めて彼と真正面から向かい合えたのが嬉しかった。ふふっと喜びを口の端から零しながら小走りで蓮二の背中にまわる。ごとごと迫ってくる電車のタイミングを見計らって、洋書を読み続ける蓮二の背中をえい、と両手で押した………はずだったその手も、胸も脚もするりと蓮二の体を通り抜けて、勢い余った私は線路に降りたった。
「あ」
ごおっと風と電車が私の体をすり抜けて、車内の人達が物凄いスピードで両隣を横切っていく。寝てる人スマホをいじる人お喋りする人化粧する人。ざざっと全てが去ってから、線路に突っ立ったままの私はやっと気づく。なんだ、死んじゃってたのは蓮二じゃなくて、きっと。ゆっくり蓮二の方に顔を向ける。ずっと彼の視線を奪っていた本がパタンと閉じられて、いい気味だと思った。蓮二、そう呼びかける自分の声は思ったよりも掠れていて、腕を伸ばしてうっすら透けた右手越しに彼と目があった。
「私が幽霊なら、蓮二はどうする?」
線路の端に咲いたウツギの白い花が揺れている。初夏の風が体の内側を通っていった。
「愚問だな」
ふっと口元を緩めた蓮二も私に向かって腕を伸ばして言う。
「なおさら良い。」




【WBGM:相対性理論/不思議デカルト】