ダイニングの時計は2時40分を過ぎたところだった。目の前の男は一口しか飲んでいないコーヒーのカップを両手で包み込みこんだまま黙っている。時計に秒針がついていないから、時間の流れを感じられないことだけは救いだった。
「別れよう」そう切り出したのは諏佐の方で、大学こそ同じなものの、目指すものは違う。2人ともバスケはやめた。頻繁に会える時間を作っている暇があるわけでもなかった。将来への道を考えると近いうちにお互いが(男同士という関係性も)邪魔になることがあるだろうと思った。決して今吉が嫌いになったわけでも彼女ができたわけでもない。お互い進路に集中しようという意味だと、諏佐は説明した。全てが片付いたならば復縁だってするつもりだった。今吉は一瞬だけ眉をひくりとさせたが、それきりずっとカップに目を落としたまま諏佐の話を聞いていた。いつもなら楽だと感じる今吉の感情が読み取れない目がもどかしい。
「……もう…嫌いになった?」
ようやく、ぽつと浮かんだ言葉に諏佐は先刻と同じ事を言い聞かせた。今吉の勉強時間を自分が削っている事も、今吉がどれだけ真剣に将来を考えているかということも、諏佐は誰よりも知っていた。あの頃のようにただボールの行く先と、お互いの事だけをみてはいられない。そうだろう、カップの中の冷たいコーヒーがちゃぷんと揺れた。
「わかった。別れよ。今までおーきにな。」
遅くなってしもたし、今日だけ泊まらせてや、立ち上がり寝室に向かう今吉はいつもの口調であったが、やはり感情は読み取れなかった。別にこれからも泊まれよ、親友だろ、こちらも普通の調子で返すと、せやな、と短い言葉が返ってきた。




葬式など何年ぶりだろうか。祖父が死んだのは随分前の事だから、もう7,8年になるか。いろんな作法があやふやだ。別れ話をした翌日に遺書も残さず自宅で首を吊った今吉は原因不明の自殺として処理された。もしかしたら今吉は俺の思っていた苦労なんて無かったのだろうか。面倒臭がっていたのは自分自身か。いや、違う、違うと信じなければいけない。そういうつもりで言ったんじゃないんだ。お前通りに愛せなくてごめんな。俺の選択が正しかったのか間違いだったのかはきっといつまでも分からない。
「皮肉なもんだよな」
誰もいない部屋に向かって少しわらった。ドアの向こうから若松が自分を呼んでいる。帰ってきたら、いいかげんにシンクに置きっ放しの2人分のコーヒーカップを洗おうと思った。